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パフォーマンスユニット文殊の知恵熱「アイ ニジュウ」の公演情報!

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20周年おめでとうございます。
文殊のような人たちがいるということだけで、
日本も すてたもんじゃないと思えます。
もし、文殊がやめちゃったら 日本すてます。
原マスミ(ミュージシャン)



原マスミさんとは、それこそ30年近く前に高円寺のライブハウスで共演したのが切っ掛けで知り合いました。僕の『移動式女子高生』というアルバムのレコ発ライブにはゲストで出てくださいました。バブルの時代、ハイウェイバスには無料の車内誌があって、大っきな写真のカラー見開きで僕が友人アーティストを紹介する連載をしていたのですが、そこに登場してもらった事もありましたな。
<とうじ魔とうじ>
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20周年おめでとうございます。
旗揚げ公演「ブンブンブン」を手伝わせてもらってから早いもので、そんなになるのですね。
今でこそ大勢のスタッフがいますが、当時は劇場スタッフ以外は身内の私しかいませんでしたね。
その後もたまに手伝いに行くと、それこそ家族のもとに帰ったような気がします。
これからも頑張って下さい。
とうじ魔とうぞう



僕の実弟、とうじ魔とうぞうからコメントが届きました。とうぞうは「とうじ魔とうじバンド」でベースを弾いていました。初期の文殊公演では主に記録ビデオの撮影係でした。発売中のDVD『文殊の知恵熱アーカイブス〜奇蹟の奇蹟』に収録されている映像の多くが彼による撮影です。
コメントには「当時は劇場スタッフ以外は身内の私しかいませんでしたね」とありますが、念のため訂正しておきますと、「ブンブンブン」の時は斉藤ちさとさんを始めとする美大生たちがスタッフで入ってくれていました。その斉藤ちさとさんも今では美術家として活躍されています。
<とうじ魔とうじ>



文殊の知恵熱
嬉しい知恵熱
楽しい知恵熱
これからも
一緒に遊んでください
僕らの宝物

あがた森魚 (歌手)



あがた森魚さんが文殊の知恵熱を小樽に呼んでくれた事がありました。1998年の事でした。市立小樽文学館で文殊ライブをしたり、映画の撮影をしたりしました。文殊ではお馴染みの仮面や光の輪が群れをなして、雪が降り積もる夜の小樽をパレードしました。有名なあの運河全体をライトアップして、文殊とともにエキストラ数十名が被り物や電飾を身に纏っての行進はホントこの世の物とは思えない程の幻想的な撮影でした。観光スポットのガラス店やオルゴール店を閉店後に控え室や宿泊所として使い、一般人が見る事のできない観光スポットの裏側が見られた事も素敵な経験です。
小樽公演のタイトルは『氷菓硝子製の港都にて』。文殊のバイオグラフィーを見てもらえば解かりますが、明らかに他の公演とネーミングセンスが異なるでしょ?いつも公演タイトルは自分達でつけますが、この公演だけあがたさんが決めたからなのです。どうです、あがた森魚ロマン炸裂でしょ?
あがた森魚の事を知らない人は、今シアターN渋谷などで公開中のドキュメンタリー映画『あがた森魚ややデラックス』を見るべし!面白かったです!!あがたさん、こちらこそ一緒に遊んでください!!! 
<とうじ魔とうじ>



これは、特定の世代とか特定の傾向の志向のひとのものだけにしたくないです。
見に行くときは全然違う世代の人、全然趣味が違う人と行って欲しい。
小沢剛(美術家)



現代アート界で今を時めく小沢剛さんからメッセージを頂きました。彼の事は僕の著書『とうじ魔とうじ養成ギブス』(洋泉社)にも書かせて頂きました。また2001年の第1回横浜トリエンナーレでは、ゲストとして呼んで頂き彼の作品「トンチキハウス」の中でライブを行うという小沢とうじ魔のコラボレーションが実現しました!
<とうじ魔とうじ>



20周年おめでとうございます!!!
ガチガチに固まったアタマをほぐしてくれる文殊。
モノの見方は一つでない事に気づかせてくれる文殊。
笑って驚いて、感動した後、数時間前より世界が少し開けて見える。
文殊を知ると、五感にハリと潤いが蘇ります。
ありがとう。そしてこれからも、末永きご活躍お祈りしてます!
高市真紀(青林工藝舎 とうじ魔とうじ著書「半芸術」担当編集者)



高市さんとは、僕が月刊「ガロ」にエッセイを連載していた頃からですから、本当に古いつきあいです。公演の時は物販コーナーを手伝ってもらったり、雑誌に情報を掲載してもらったりと大変お世話になってます。ちなみに彼女は伝説の漫画家・山田花子の妹さんです。
<とうじ魔とうじ>



結成20周年おめでとうございます!
文殊の印象は、昔も今も“おじさんたちが面白いことやってる”ことです。
これからも変わらず面白いことをやり続けてください。
スタジオ200の舞台では流しそうめんをしました。
自宅の台所が大量のそうめんで溢れかえったことは、一生忘れられません(笑)。
柳下美恵(元スタジオ200スタッフ、無声映画伴奏者)



昔、池袋の西武百貨店にスタジオ200というホールがありました。初期の文殊の知恵熱は、そこを拠点に活動していました。そこでは連日、音楽、舞踊、映像とジャンルを問わず実験的・先駆的な表現が発信され、当時のアートシーンの一翼を担っておりました。いわゆるセゾン文化の末席に文殊も加えて頂けたという感じですか。しかもスタジオ200は貸ホールではなく、西武が予算を出して企画してくれるので我々アーティスト側には有難かったです。そのスタジオ200の文殊の知恵熱担当者が柳下さん。僕たちがステージで流しそうめんをやる事にしたので、彼女は毎朝自宅で大量のそうめんを茹で、それを持って出勤していたのです。その柳下さんも現在は自身がアーティストとして活躍されています。
<とうじ魔とうじ>



1997年、新津美術館全館そして野外劇場、さらに鬱蒼としたまわりの丘陵へと展開した大スペクタクルな文殊の知恵熱公演「トラベリング◎リングズ」は、時を超えていまもあの体験をした人々に働きかけ続けている。文殊の知恵熱は、新津の地元のボランテイアと、その大空間を縦横無尽に動き回ったのだ。みんな思った。「文殊の知恵熱って何だ?」誰も彼らの実体がわからない。誰も見たこともない。だけど魔法の呪文のように、みんな文殊の知恵熱に会えば、触れれば、その虜となる。なんて不思議な存在なのだ。お食事ボランテイアから制作いや創作ボランテイアにいたるまで、いったいどれくらいの人があのプロジェクトに係わったのだろう。150人以上だと思う。一体どんな風に仕上がっていくのか全体像が漠然としたなか、それでも続々と集ってくる。文殊の知恵熱の魅力の凄さに驚かされた。そして、単純で身近な素材が、表現の柔軟性と豊かな創造力によって次から次へと作品として生み出されていく。その楽しさに、みんな病みつきになった。そんなことってありなんだ!いまだかつてない、この発想のコペルニクス的な大転換。文殊の世界にみんながどんどん夢中になっていく興奮が美術館の丘陵に波動のように伝わっていったのを私は鮮明に覚えている。

そう、文殊の知恵熱は私たちに見せてくれた。世の中に枠組みなんてないんだ。そう縛ってきたのは自分自身さ。もっと自由に、もっと楽しく、人と人って一緒に感動できるんだ!共感できるんだ!日常が祝祭になる。ほんとこんなの見たことない。文殊の知恵熱を体験すると、みんながハッピーになる。文殊の知恵熱の公演は、単に見て「あーおもしろかった」ってエンターテイメント的に終わるんじゃないんだ。

生きてるっていう根源を揺さぶってくれる。だからみんな元気になる。すべてを包み込んでくれる懐の深さがあるんだ。もちろん映像とか、オブジェとか、パフォーマンスとか、細切れにジャンルで評価することもできるけど、そんなもんじゃないんだ。文殊の知恵熱が案内人となって森羅万象のいのちの壮大なトラベルに連れて行ってもらった。そんな体験だった。自分はひとりで存在しているのではなくて、いのちの大きなつながりのリングのなかにいる。自分自身を新たに発見することができたんだ。

いまもあの文殊の知恵熱の公演を体験した人たちは、ゆる〜いけど、何かあれば駆けつけるネットワークができている。どうしてなんだろう。根底にあの共通するリングがあるのかな。そして、みんな文殊の「トラベリング◎リング」の体験によって、生きる方向性をそれぞれ自分なりに紡いでいっているんだ。いつでも文殊の知恵熱が旗揚げしたら駆けつける準備はできているさ。またいのちの根源を揺さぶってもらえる、その日を楽しみにしているよ。
東護典子(新津美術館元学芸員、いま現在は僧侶)



『文殊の知恵熱』20周年おめでとうございます。
今、バルーンパフォーマンスの活動をしている私にとって、12年前の新津美術館の公演で、ボランティアとして関われた時間は、私の宝物です。あの時間が、今の私の活動のパワーになっていると思っています。
これからの皆さんの御活躍を新潟にて応援しています。
柴山 あすか(バルーンアーテイスト)



結成20周年おめでとうございます。
私たちは1997年の新津公演でボランティアとして参加し、初めて「文殊の知恵熱」という、見た目も中身も、ユニークでしなやかなおじさま達の存在を知りました。
この公演時に知り合った仲間との出会いは、10年前と変わらず、私たちそれぞれの人生に今でも彩りを与え続けてくれています。
今の私たちがあるのは文殊さんのおかげと言っても過言ではありません!
これからも末永いご活躍をお祈り申上げます。
1997年新津公演ボランティア有志一同



文殊の知恵熱史上おそらく最大規模の公演であったろう新津美術館の開館記念事業『トラベリング◎リングズ』。その時の担当学芸員・東護さんと地元ボランティアスタッフの皆様からメッセージを頂きました。

僕たち文殊の3人は、美術館ができる1年以上前からたびたび新潟県新津を訪れ、下見や打ち合せを重ねました。そして1997年秋、美術館の柿落としで現地入り、約1ヶ月間滞在しました。その間、秋葉山会館という楽に100人は泊まれる立派な宿泊施設を借り切って頂いて、スタッフと我々は合宿のような生活をしました。東護さんのコメントにもあるように、この公演にかかわった地元スタッフの方は150人はいたでしょうか。秋葉山会館に一日3食我々の食事を作りに来てくれた食事ボランティアのおばさんだけでも延べ80人、しかも栄養士つき!ああ、菊のおひたしが食べたくなってきた〜。夜の秋葉山会館は毎晩宴会場!越乃寒梅やら御馳走になったなー。

あの時まだ10代だったボランティアスタッフの子たちは今は皆30代の働き盛り。東護さんは美術館を辞め僧侶になられました。東京・高田馬場で産声をあげた文殊の知恵熱にとって、新津は第二の故郷です。
<とうじ魔とうじ>



文殊の知恵熱、今回来場は知恵熱お一人あたり五度を皆様にお裾分けするという噂本当ですか?
ホントとして御三方による化学変化の力で発熱後二桁の暗算が出来ない私も17+38くらいは正解を出せる様になりますか?

根本敬(特殊まんが家)



残念ながら薬事法上むずかしいかと思いますが、関連イベントには“福作用”もございます。
<生協のとうじ魔さん>



イノセントな感覚質

原田文明(美術家)

文殊の知恵熱が結成されて20年になるという。もうすぐ還暦をむかえようということも忘れ「えっ、そんなに?」と言ったところが彼らの正直な実感かもしれない。いや、これまでやってきた仕事ぶりから、「まだ20年?」などと意外な気もするし記憶も曖昧になってくる。

文殊の活動自体は松本秋則との出会いもあって比較的早くから知ってはいたけれど、私が彼らに注目したのはとりわけ彼らのもっている“イノセント”な要素だった。山口県の田舎町にまで来てもらって、「キッズパワープロジェクト2005“大人の子ども、子どもの大人”」というプロジェクトに参加していただいたのもきわめて自然な成り行きだったという気がしている。

その企画は、子ども性(イノセントな感覚質)に注目することで私たちが直面する諸問題について考え現在をみつめる、という子どもから大人までを対象とする複合的なイベントだった。多少、散漫な感じになったかもしれないけれど、アートから文学、音楽、舞台表現を含むものとして、地域で活動しているブックスタート、子育て支援、学校教育などの関係者まで引き込もうとした。文殊ならではのスクランブルを仕掛けることも実は大きなねらいでもあったのだ。

文殊の知恵熱ライブパフォーマンス「ターンオーバー」は気持ちの良い楽しさ可笑しさ面白さにあふれていた。不思議なことに言葉のない彼らのライブにどういうわけか小さな子どもたちが敏感に反応しているのだった。

彼らの舞台づくりはとても楽しい。まさしく、とうじ魔とうじが言うように舞踏・音楽・美術の役割分担ではなく3人が等しく演者であり演出家であるということだった。さらに、そのことは現地の舞台監督から照明スタッフのほか舞台に立った若い人たちまで巻き込み集合的なコラボレーションへと変化していくのだった。

文殊の舞台は決して洗練や熟練には向かわないらしい。そして、彼らに失敗はないという。当初は舞台美術のイメージが確認できなくて困惑していたスタッフも、いつの間にか彼らのペースに巻き込まれ舞台づくりの中央にいることになっていたのだった。

「ターンオーバー」の構成はこうだ。まず、スクリーンにこれまでの文殊の公演のようすが映し出される。さらに、特殊な音具(楽器)がステージ中央に運び出され3人の演奏する音がアンプで増幅され、そのようすがリアルタイムでスクリーンに映し出され音遊びと重なる。次にホールの外(絵本の原画が展示され、子どもたちに読み聞かせをするダンボール小屋などがセットされているエントランス)で巨大な風船が膨らまされているようすが映し出される。すると突然、その巨大な風船が観客の背後から頭越しに会場内に運び込まれ大騒ぎとなる、といった具合だ。

さらに、ステージ上に運ばれた巨大な風船に重なるように子どもの大人が、のた打ち回りながら風船の空気を抜いているのだ。そのとき不思議な音が聞える。実は風船から空気が抜けると音がでる仕掛けなのだ。次第に風船は萎んでいき子どもの大人はステージから静かに退場する。

その後も次々に繰り広げられる音遊びの無言劇は不思議なことにイノセントな状況をつくりだし、子どもにも大人にも伝わってくる気持ちの良い楽しさ可笑しさ面白さとともに滑稽な印象さえ与える。小さな子どもが興じるのも無理はない。
おそらく、私たち人間の本質として子どもと大人に共通する感覚があるからこそ、小さな子どもが敏感に反応するのではないか。

文殊が奏でる音具(楽器)は極めて日常的なもの(ダンボール箱、ビニールホース、TVアンテナ管や灰皿など)でできているところがさらに面白さを誘う。それらは決して仰々しいものではない。何でもない日常的なものを扱いながら、日常を逸脱した感覚や価値観で向き合うところに文殊の発見があるとも言えよう。

それは、子どもが一人遊びで興じる無垢なる精神(感覚)と共通していないだろうか。



2005年に山口公演を企画してくださった原田文明さん、長文の論考をありがとうございました。
我々が現地入りする直前、山口の観光名所で有名な錦帯橋が大水で決壊!ニュース映像を見ながら「どうなっちゃうんだ!?」と大変心配しましたが、地元スタッフの皆様の御尽力で公演は大成功、打ち上げは丸太小屋でのバーベキュー!さすが高森牛で知られる牛肉名産地、美味しかったっす!!お酒はもちろん「獺祭」でね〜♪
公演翌日は“山口県民なら誰でも知っている(by山中カメラ)”という「山賊」というスゴイ店でまた御馳走になり、その後ワークショップ。楽しかったです。山賊さん、巨大オニギリの差入れ(←どうスゴイ店なのかのヒントです)ありがとうございました。あ〜山口、また行きたいなー。
<とうじ魔とうじ>



わたくしに歌うきっかけをあたえてくれたのは、とうじ魔さんのプロデュースしたCD「平成今日歌」という企画からでした。
その後摩訶不思議なパフォーマンスをくりひろげる三人にお会いする事になるのですが、がちがちだった当時のわたくしに、こんなゆるゆるで自由なおとなたちがいるんですよ、と優しく語りかけてくだすったのが文殊でした。
20年とはいわずこの先も、エッジととんちのきいたパフォーマンスでこちこちになった世界をほぐしてくださいね!

吹雪ユキエ(フォーク歌手)



僕がプロデューサーを務めた『平成今日歌』というCDの企画で、オーディションに合格しデビューしたユキエちゃん。当初は「KYOKA SHOW」というグループの一員でしたが、現在は吹雪ユキエという芸名でソロで頑張っています。
2002年の文殊の知恵熱 広島市現代美術館公演『リボンの既視』では、もうデビューしている身でありながら一スタッフとして広島まで手伝いに来てくてました。文殊ともども吹雪ユキエもよろしくどうぞ!
<とうじ魔とうじ>



「ワトソン君来てくれないか・・・」というキャッチコピーと共にイルミネーションを体中に巻き付けた得体の知れない奇妙な人物が何かを訴えている様に感じさせられた一枚のチラシ。

この不可解な1枚のチラシとの出会いが、(幸か不幸か)私と文殊の知恵熱との出会いのキッカケとなりました。

この初期の幻の代表作品“マカロニ空洞説”は、私にとっては、現代美術の先駆者“具体”、寺山修司の“天井桟敷”を知ったとき以来のカルチャーショックを受けた作品です。
具体のアバンギャルド性、天井桟敷のハプニング性、両方のエッセンスを兼ね備えたもので、文殊の3人が懲りに凝った“大人の遊び?”を展開した内容です。
当時の感動興奮は未だに忘れられません。

文殊の舞台を言語で語ることは到底出来ません。
“空間の魔術師・文殊の知恵熱”の世界を、皆様も是非ご堪能下さい。

伊藤利彦(イベントプロデューサー)



伊藤利彦さんは大阪在住のイベンターなのですが、初期の頃から文殊を追っかけてくれていて、神戸でしか上演していない『マカロニ空洞説』も体験されている貴重なお方です。
僕が仕事で関西方面に行った時は、ホテルまで送ってもらったり、美味しいお店に案内してもらったりと、いつも大変お世話になっております。
伊藤さん、こんど大阪で何か面白い事やりましょうね!
<とうじ魔とうじ>

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文殊の知恵熱
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自己紹介:
とうじ魔とうじ《特殊音楽家》松本秋則《不思議美術家》村田青朔《元舞踏演芸家》の3人によるパフォーマンス・ユニット。一見、とうじ魔が音楽担当、松本が美術担当、そして村田が踊るのだと思われがちだが、そうではない。それぞれのジャンルを浸食しあい、超越する舞台作りに挑戦している。例えば肉体を動かすことによって音が鳴る、楽器自体が舞台美術になる、オブジェが演じるといった様々な仕掛けや発想で、今まで味わったことのない五感、六感で感じる<面白さ>を体験できる作品を発表し続けている。
不思議な音や光を体感しているうちに、観客たちはいつの間にか頭がほぐされ、新たな発見に巡り会う。身近にあるものを素材にし、あっと驚く展開と遊び心溢れるその作品世界は、世代や国境を超え、幅広い層に定評を得ている。

---1989年結成。第1回公演『ブン・ブン・ブン』以降、美術館からライブハウス、野外、児童館など多岐に渡り活動。'08過去の記録映像が収録されたDVD「文殊の知恵熱アーカイブス-奇蹟の軌跡」(BankART)発売。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/toji/monjyu/monju.html
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